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発達障害 みんなのストーリー

発達障害の特性をプラスに変えて
「自分だからできること」を大切に頑張っていきたい

当事者インタビュー(ADHD)
~yu-kaさん(29歳・女性)~

プロフィール:

  • 年齢:20代
  • 職業:シンガーソングライター・ウェディングプランナー
  • 特性に気づいた時期:大学生の頃
  • 病院を受診した時期:大学3回生の頃
  • 診断された時期:大学3回生の頃
  • 診断名:ADHD

主な特性:

  • 多方面に興味や関心が向きやすく、クリエイティブな発想などが得意
  • 聴覚優位
  • 忘れ物や無くし物が多い
  • 臨機応変に動くことやマルチタスクが苦手
  • すぐパニックになり失敗する
  • 視空間認知が弱い
  • スケジュールや段取りを考えるのが苦手

本文中に使用されている専門用語(アンダーラインのついたもの)については発達障害関連ワード集に詳しく説明があります。

発達障害に気づく

ミスが多く、アルバイトを転々とした学生時代

私はもともと人と接することが好きだったので、学生時代はレストランやホテルの配膳など飲食業のアルバイトをしていました。ところが、臨機応変に動くのが苦手だったり、すぐパニックになって失敗することが多かったりして、要領が悪い、物覚えが悪いなどと指摘されることもありました。自分でも、同じ時期に採用された人と比べて全然仕事ができないということは感じていて、仕事に行くたびに疲弊しているような状態でした。

大学の友人にアルバイト先での困りごとを話すと、「yu-kaちゃんはyu-kaちゃんなんだから」 「そういうことは誰にでもあるよ」と励ましてくれました。今では、優しさからくる言葉だとわかるのですが、当時の私はそうした言葉を受け止めることができませんでした。「私は人よりもミスが多くて困っているから、まるで戦場に行くような必死な気持ちでアルバイトをしているけれど、みんなはそうじゃないでしょう」という感覚があり、友人には自分の状況を理解してもらえないんだと感じ、それ以降は友人に相談することを避けるようになってしまいました。

アルバイトでつまずいても、最初の頃は「もっとゆっくり働ける環境を選べばいいのかもしれない」と思っていました。しかし、結局どこへ行ってもうまく適応することができず、アルバイトを転々としました。そのため、うまくいかない原因は環境ではなく、やはり自分自身にあるのかもしれないと考え始めました。

私は発達障害なのかもしれない

そこで、“仕事を覚えられない”など思い当たるキーワードでインターネット検索をしてみたところ、自分と同じような困りごとを質問している投稿を見つけたのです。それに対する回答の中にはネガティブな意見が多かったのですが、1つだけ“同じような悩みを抱える友人が発達障害だと診断されていた”という回答に目が留まりました。それをきっかけに発達障害という言葉を知り、発達障害やADHD(注意欠如多動症)というキーワードで調べていくと、“幼少期から忘れ物が多い”などの特性が自分に当てはまっていることに気づきました。

今になって自分自身の特性をふり返ってみると、小学生の頃からいわゆる凡ミスが多かったり、物を置き忘れたり無くしたり、学校に持っていくべきものを忘れてしまったりすることが日常的によくありました。また、視空間認知が弱いので、算数の授業ではサイコロの展開図などが苦手だったことを覚えています。

また、高校時代には軽音楽部の部長を任されたものの、上手くいかずにつらい経験をしました。部長の役割として、文化祭などでの発表に向けてスケジュールや段取りを考え、それを部員に伝えなくてはならなかったのですが、私にはそれがうまくできず本当に困りました。そもそも自分の段取りさえおぼつかない私が、部全体をまとめるのは無理があったのです。部員のみんなに助けてもらいながらも、当時の私はすごく悩んでいました。

発達障害と向き合う

どんなに頑張ってもできなかった理由がやっと分かって

インターネット上の情報で「自分は発達障害かもしれない」と思った私は、大学内の心理センターに相談しました。そこで紹介された病院を受診して検査を受け、不注意優勢型のADHDと診断されました。それが大学3回生の時でした。「頑張っているのに、自分はどうして人と同じようにできないのだろう」―その答えを見つけ出したい気持ちが強かったので、診断された時はショックよりも、どこかスッキリした気分になったことを覚えています。

そして、検査の結果を見た臨床心理士の方に「目で見て気づくことや判断することが難しい特性があるから、お客さんの空いたグラスを確認して声かけをするなど、状況を見てどう動くか判断するような飲食業のお仕事をするのは大変なことだったと思いますよ」と言われた時、私は思わず泣いてしまいました。自分がどんなに頑張ってもできなかった理由がやっと分かったことに安堵し、救われたような気持ちになったのだと思います。

診断を受けて生じた気持ちの変化、そして就職活動へ

それまでの私は、失敗するたびに自分で自分を責め、落ち込むことしかできませんでした。ところが、診断を受けたことで、苦手なことへの対策やその先のことを自分なりに少しずつ考えられるようになりました。自分の特性を整理し、自己分析するためにブログを書き始めるようになったのもその頃です。それからは、自分に合ったアルバイトを選ぶなど、環境調整も意識するようになっていったと思います。

ただ、自分に発達障害があることをまだ誰にも打ち明けられずにいました。そうした中、大学4回生の時に参加した就職活動のキャンプで初対面の就活生がそれぞれ自己開示する場があり、みんなの前で「発達障害があっても、得意なことを生かして頑張っていきたい」と思い切って伝えてみたのです。それがきっかけとなり最初の一歩を踏み出した私は、発達障害があることを少しずつ開示できるようになっていきました。

就職活動では、一般雇用と障害者雇用の両方を視野に入れていましたが、発達障害に関して理解はあっても積極的に採用している企業はそれほど多くありませんでした。そのため、発達障害であることを開示せずに、得意なことや苦手なことを正直に伝え、第一希望の会社へ就職することができました。

業務を上手にこなせず、一人で悩みを抱え込んでいた毎日

念願叶って就職できた会社では広報部に配属され、私は広報誌の企画編集を担当することになりました。具体的には、誌面の構成を考えること、社長インタビュー取材への同行、取材後にライターさんが書いた原稿内容のチェック、原稿確認のための取材先とのやり取り、そして社内調整などが、私に任された主な仕事でした。

インタビュー取材への同行にはいろいろな発見があり、とても楽しい仕事でした。その一方で、多忙なスケジュールのためにどんなに頑張っても原稿のミスに気づくことができなかったり、空間認知が弱く誌面の構成案を考えるのに時間がかかったりすることもあり、私は求められる業務を上手にこなすことができませんでした。特に、誌面構成の配置を組み換える作業は、算数の展開図のように難しく感じました。また、事務作業においても複数の作業を同時並行で進める“マルチタスク”が苦手で、不注意な特性から数字の間違いや誤字・脱字が目立ち、叱られることが多々ありました。

こうした失敗が積もり積もって、一人で悩みを抱え込んでしまうようになり、入社2年目の夏には心の調子を崩し、うつ状態になってしまったのです。しかし、職場には最初から発達障害のことを伝えていなかったため相談することができませんでした。

うつ病になって気づいた発達障害との向き合い方

うつ病について相談相手になってくれたのは、私のブログを通じて知り合い、発達障害のことをよく理解してくれていた友人です。顔色が悪く、歩いていても階段を踏み外しそうになるくらいフラフラな状態であることを伝えると、心配して医療機関への受診を勧めてくれました。そこで大学生時代に発達障害の診断を受けた病院を再度受診したところ、うつ病の診断を受け、しばらく休職することになりました。

発達障害と診断された頃から苦手なことへの対策を少しずつ考えるようになっていたものの、それでも就職2年目でうつ病を発症してしまったことで、私は「自分の特性に合った環境を選ぶことの大切さ」をあらためて痛感しました。また、仕事をしていく上では、自分の頑張りだけではどうしようもない“限界”があることにも気づき、発達障害について自分から開示することも選択肢の一つだと感じました。

その後転職し、同じことを繰り返さないように発達障害があることを職場に開示して、一緒に働く人には得意なことや苦手なことをできるだけ伝えていくようにしました。ただ、発達障害については言葉だけが先行して、内容はあまりよく理解されない部分があるのも事実です。伝えたことで配慮してくれる方がいる一方で、受け入れてもらうことが難しい場合もあります。それでも私はできるだけ開示し、発達障害のある自分と付き合ってくださる方との関係性を大事にしていきたいと考えています。

発達障害と共に歩む

自分を最優先にして好きなことをやってみたり
当事者同士で交流したりすることで、心の支えや癒しを得る

発達障害の特性上、私は気持ちに余裕がなくなってしまうことが多々ありました。そのため、うつ病で休職した時は、まず一人になって心を落ち着かせる時間をできるだけ多く持つように心がけました。
また、休職中には初めて発達障害を持つ当事者の集まりである“自助会”にも参加してみました。そこには自分と同じような困りごとや悩みを抱えた仲間がいて、具体的なアドバイスをもらえたりしました。自分の状況を改善していく上で、当事者同士の交流は私の心の支えになったように感じています。

うつ病になったことがきっかけで、私は「自分がやりたかったことをちゃんとやろう」と考えるようになりました。そして、それまで封印していた音楽活動を再開し、子どもの頃から大好きだったピアノを再び弾き始めるようになったのです。ピアノを弾くうちに、心が少しずつ癒されていくのを感じました。相手を優先しすぎたり、自分一人で頑張りすぎてしまったりすることで、うつ状態になってしまうこともあるのではないでしょうか。今では自分を最優先して、好きなことをやってみることも大切だと思います。

自分の特性を強みとして活かせる仕事へ

現在、私は発達障害の当事者の方や親御さんを励ましたいという思いをきっかけに、フリーランスのシンガーソングライターとしてライブや講演活動をしています。また、人の話を聞くのが好きなことや聴覚が優位であるという特性を強みとして活かし、依頼者へのインタビューで引き出した想いをもとに作詞作曲する“応援ソングづくり”も手掛けています。私は多方面に興味や関心が向きやすいので、クリエイティブなアイデアを発想したり、ゼロからイチを作り出したりするような作業が得意です。それが、シンガーソングライターとしての幅広い活動につながっているように思います。

また、今春からは営業職であるウェディングプランナーとしても働き始めました。ADHDの人は初対面の人と話をしたり、仲良くなったりすることが比較的得意なようで、私も人と接することが好きです。そのため、未経験で始めたウェディングプランナーですが、今のところは苦手さを感じることなく取り組むことができていて、よりレベルアップできるよう学びを続けています。

発達障害のある方へ届けたいメッセージ

発達特性があってうつ症状で苦しんでいる方は、発達障害の特性に関してよく理解しておく必要があると思います。理解することは、うつ症状を和らげることにもつながるからです。もしも原因が分からずにうつ症状が長期間続いているのであれば、まず“自分にとってどういう環境が心地よくて、どういう時にストレスを感じやすいのか”というポイントで自分を見つめ直してみることをお勧めします。たとえるなら、自分自身の特性の“棚卸し”をするようなイメージです。

ストレスの原因を探って理解することで自分の発達特性や、得意なことや不得意なことをあらためて認識できるようになると思います。また、医療機関で知能検査や職業検査を受けることも、自分自身の発達特性を知り、自己理解を深める上で役に立つのではないでしょうか。それから、うつ状態にある時は自分に自信が持てず、ダメなところばかり見えてしまいがちですが、そんな時には友人や周りの人の力を借りて、ポジティブに考えられるようなきっかけを是非作っていただけたらと思います。

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