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発達障害 みんなのストーリー

うまくいかなくても、へこたれない。
いつも変わらない自分がここにいる。

当事者インタビュー(広汎性発達障害:アスペルガー症候群、高機能自閉症)
〜Fさん(37歳・男性)〜

プロフィール:

  • 年齢:30代
  • 職業:管理部門(クローズ就労)
  • 特性に気づいた時期:20代
  • 病院を受診した時期:20代
  • 診断された時期:20代
  • 診断名:広汎性発達障害:アスペルガー症候群、高機能自閉症

主な特性:

  • 規則的な行動・作業が得意
  • こだわりが強い
  • 機転を利かせる・空気を読むのが苦手
  • 計画的な行動が苦手

本文中に使用されている専門用語(アンダーラインのついたもの)については発達障害関連ワード集に詳しく説明があります。

発達障害に気づく

同じミスを繰り返し、仕事がうまくいかない

私は、新卒で環境設備の設計・施工を中心に行う会社に入社しました。現在はその会社の管理部門に所属し、品質や環境に関する法律に準じたシステムの構築、社内の管理基準や仕組みの整備・運用、社内教育など、幅広い業務を担当しています。もともと一般就労枠で入社し、発達障害があることを企業側に伝えない“クローズ就労”で働いているので、職場では発達障害が話題に上ることもなければそれについて聞かれることもなく、12年半にわたり勤務を続けています。

私が自分の特性に気づいたのは、働き始めて2年半ほど経った頃です。当時は6名のチームプロジェクトで新製品開発に携わっていたのですが、その間、私が同じミスばかりを繰り返していたため、周りから「話をちゃんと聞いてなかっただろう」「何か別のことを考えていただろう」と頻繁に注意されるようになっていきました。また、私の言葉や態度には上司が求めるものとかみ合わない部分があったようで、「空気が読めない」「常識がない」などと皆の前で叱責されることもありました。

「自分はなぜ失敗ばかりしてしまうのか?」「何かがおかしい」――そう感じた私は、業務中にメモを取ったり、1日の終わりに失敗した原因を自分なりに考えてみたりしてみました。しかし、うまくいかない原因を自分なりに掘り下げて考え、行動してみても、その行動自体が正しいかどうかの判断もできず、結局はさほど改善されないまま失敗を繰り返してしまうという状況でした。

ネット検索で初めて知った“大人の発達障害”の特徴

そこで、“仕事がうまくできない”など思い当たるキーワードを入れてインターネットで検索してみました。その結果、大人の発達障害に関する情報にたどりつき、そこで挙げられていた「空気が読めない」「会話のキャッチボールができない」「こだわりが強い」「常識が身についていない」などの特徴は自分によくあてはまっていると思いました。

当時、ADHD(注意欠如多動症)や自閉症というキーワードは知っており、自分なりのイメージを持っていました。しかし、「発達障害」という言葉に出会ったのはその時が初めてで、ADHDや自閉症といっても発達障害という一つのカテゴリに含まれるものとは知りませんでした。その時まで、発達障害は自分とはまるで別の世界のものと思っており、人口の10%を占めるほどのありふれたものであることも知りませんでしたし、ましてや自分がその一人かもしれないという発想もありませんでした。

ただ、今の会社に入社した後、「自分にはどこか自閉症の傾向がある」と感じていた時期もありました。もともと、学校の勉強のようにパターン化した作業を規則的にこなすことは非常に得意なのですが、機転を利かせたり、チームの一員として働いたり、計画的に行動したりするようなことは苦手だと感じていました。しかし、当時はそういった特徴が発達障害の特性と結びつくことに気がつくことはありませんでした。

本来はマネジメント業務よりも、一つの作業を遂行する業務の方が自分には合っていると思うのですが、現実には周囲の期待や、自分自身のプライドの問題もありました。もしも10代の頃に自分自身の発達障害やその特性を理解していたならば、現在いる業界とはまったく違う、研究者やIT業界など、専門知識に特化した職業を選択していたのではないかと思います。

発達障害と向き合う

発達障害者支援センターから紹介された医療機関で広汎性発達障害と診断

「自分は発達障害かもしれない」と気づいた頃は、当事者グループの会といった相談場所があることさえ知りませんでした。一人暮らしをしていて誰にも相談できずにいた私は、発達障害に関する本を何冊か買ったり、自分自身の行動を分析したりもしていましたが、仕事での失敗は相変わらず続いていました。

さらにその頃は長期出張も多く、非常にハードな日々を送っていたこと、上司からの厳しい注意に怖気づき正直な業務報告ができなかったことなどが影響し、ますますつらい状況に陥り、うつ症状や消化器症状が出始めるようになりました。

私は学生時代にメンタルに不調を来たし、食事ができなくなって入院をした経験があり、働き始めてからも断続的に通院していた心療内科がありました。その心療内科を受診したところ、適応反応症と診断されました。その際に、発達障害の可能性を伝え簡易的な検査を行った結果、ADHDの傾向もあると診断され、治療薬を処方されました。その後、半年ほどその薬を服用してはみたものの、あまり効果を感じることはありませんでした。

そこで、いろいろと調べていく中で発達障害者支援センターの存在を知りました。早速相談に行き面談を受けたところ、ADHDではなく広汎性発達障害の可能性を指摘され、近隣の医療機関を紹介されました。

そして、その病院で成育歴の聴取やいくつかの心理検査を行った結果、広汎性発達障害に含まれるアスペルガー症候群と高機能自閉症の診断を受けました。インターネット検索で発達障害のことを知ってから1年ほど経過した頃、入社4年目のことでした。

診断を受けたことで仕事での困りごとに対する考え方が変わった

発達障害の診断を受けた時、私の場合はショックを受けて落ち込むといったことはまったくなく、自分が発達障害であることを受け入れることにハードルはありませんでした。むしろ、仕事がうまくいかない理由が分からずもやもやしていた状況が続いていたので、診断を受けたことで納得し安心したことを覚えています。また、自分自身が発達障害と診断されたことで、それは決して特殊な病気などではなく、脳機能に関連して起こる他の様々な障害と同じで、珍しいものではないということを実感しました。

そして、発達障害と診断されてからは、仕事での困りごとに対する考え方も少しずつ変わっていき、最近は日常的にあえて「うまくいく工夫」をしようとは考えなくなりました。

たとえば、仕事で何か指示を出された時、私は自分の頭の中で独自の内容に変換してしまい、結果的に求められる指示と違うことをしてしまうことがあります。こうした問題が起きた時には、その原因を分析したり、物理的な工夫をしたりすることで解決を図る方法もありますが、現実的には困難です。ですから、問題を解決するための直接的なアプローチにこだわるよりも、発達障害があることを受け入れ、自分の苦手なことをよく理解した上で工夫をしていこうというマインドに変わっていきました。

また、仕事がうまくいかなかった当時のプロジェクトは多忙を極めており、寝ている時以外は働いているという日々でした。後になって分かったことですが、私の場合、発達障害の特性が仕事環境とマッチしていなかったためにパフォーマンスが低下しやすく、そこに疲労が重なったことでさらにパフォーマンスが低下し、仕事での失敗が増えていったのだろうと思います。そのため、一人になって頭の中を整理し、クールダウンするような時間を持つことも大切だと考えるようになりました。

発達障害と共に歩む

職場にも友達にも発達障害のことを伝えていない現状

私の発達障害に関して、親は理解を示してくれました。しかし、同じく発達障害のある友人などごく限られた人以外、周囲には発達障害のことをほとんど伝えていませんでした。仲の良い友達でもメンタルの話題を持ち出すと会話がぎこちなくなることや、相手が少し引いてしまうことを感じていたからです。

また、職場の人から「仕事ができないのを病気のせいにするな」と言われたことがあったので、発達障害のことは隠しておこうと思いました。原因が分かったところで、他者からの見られ方や思われ方が変わらないのなら、伝えても仕方がないという思いがあったので、今でも会社の人には発達障害のことを伝えていません。

当事者同士で本当の気持ちを自然と分かち合える場がある

発達障害に関する相談のベースになったのは、私の場合、自助グループが毎月開催しているサロンです。そこは友達と話すのとは違い、発達障害の当事者同士で自然と共感が得られる場で、そのサロンに参加するまでは「自分と同じようなタイプの人は他にいないのではないか」 「人と違う自分には価値がないのではないか」などと思っていました。しかし実際には、自分と似た大勢の仲間がいてそれぞれが就労で苦労しており、同じようにつらい経験をしている人がいることを改めて知ることができました。

こうした私自身の経験から、発達障害がある人は、過去の体験や今抱えている悩み、本当の気持ちなどを当事者同士で分かちあうことが最も大切だと感じています。それだけでも、つらい気持ちが半減して精神的に楽になりますし、安心感も得られるのではないかと思います。

自助グループの会は、何の準備もなくただ参加するだけでよく、そこには仲間がいて、支援に関する生の声を聞くことができ、有益な情報も得られることが多いため非常にお勧めです。現在では、私自身もNPO法人DDAC(発達障害をもつ大人の会)の運営に携わっています。

もし仕事が忙しく時間が取れないのであれば、自助グループ以外にも地域の障害者就業・生活支援センターに行って相談してみるのもよいことだと思います。

自助グループへの参加、認知行動療法などで会話力や社会的スキルを磨く

私の場合、仕事をする上でネックになっていたのは上司や同僚とのコミュニケーションに関わることでした。そのため、自助グループの会に参加する時は、できるだけ会話の練習をしようと意識していました。コミュニケーションにおける自分の特徴をふまえて、会話のキャッチボール、話す時のスピードやしぐさなどを具体的に意識しながら、会話の練習を重ねていったという感じです。また、コミュニケーションに関する本などを読み、自分で取り入れられそうなことは実践するように努めました。

また、通院していた心療内科では1年半ほど認知行動療法を受けていました。認知行動療法とは、日常生活で実際に体験した出来事に対し、その時に自分がどんな感情を持ったのか、どんな反応を示したのかをメモしておいて、同じような出来事が起きた場合にどのように考えればよいかを想像し、ロールプレイするといったものです。これが会話の練習にもなりました。その他にも、カウンセリングや診察を継続していくことは、これまでの体験から生じた認知のゆがみを治し、社会的なスキルの向上にもつながっていったと感じています。

発達障害のある方へ届けたいメッセージ

「世の中から取り残されている自分は価値がない」なんてことは決してない!

発達障害のことを知るまでの私自身がそうであったように、発達障害を持つ人は、「皆と違う自分は、世の中から取り残された価値のない人間だ」という思考パターンに陥りがちではないかと思います。また、職場での人間関係がうまくいかず人に責められることで、何もかも自分に非があるように感じてしまう場合もあるでしょう。ただ、そのような気持ちがあったとしても、自分だけが人と違っていたり、世の中から取り残されていたりすることは決してありません。そのことを、私からのメッセージとしてお伝えしたいと思います。

以前、私はプロジェクトの上司から、仕事やプライベートに関して否定的なことを言われた経験があります。当時の私はその言葉にとても傷つき、「仕事で成功して上司や同僚を見返してやる」という思いを強く抱きました。しかし、そうした思いも自助グループの会へ参加する中でいつしか変わっていきました。

発達障害の特性のために現実にはいろいろな困りごとに直面しますが、その特性自体はなくなるものではありません。そう考えた時、困難を克服して成功を目指すよりも、自分らしく生きていくことを大切にしようと思うようになっていったのです。今日もうまくいかなかった。それでも、へこたれない。いつも変わらない自分がここにいる――それは、何度倒れても起き上がるダルマのようなイメージです。

たとえ失敗しても、私がそういう姿勢で発達障害と向き合っていることを同じ仲間に伝えられたら、成功体験を語るよりも大きな力を与えられることができるのではないかと思っています。子どもに比べて、大人の発達障害に関する情報はまだ少ないように感じます。発達障害と共に歩む当事者の話として、私の経験や考えが多くの方々のお役に立つと嬉しいです。

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