発達障害 みんなのストーリー

あなたは一人じゃない。
一緒に考え、支えてくれる人が
きっといる。

当事者インタビュー(ADHD)
小島慶子さん(50歳・女性)

発達障害に気づく

40代になって自分の脳の特徴を知る

私は子どもの頃から「集団行動や人付き合いが苦手」という感覚を持っていたのですが、それが発達障害の特性に関係しているということは、診断を受けるまで知りませんでした。子育てをしている中で「発達障害」という言葉や情報に触れる機会はあったものの、「私もそうなのかな?」と自分に当てはめて考えたことはありませんでした。

33歳の時に不安障害という病気になり、寛解した後も必要な時には精神科医によるカウンセリングを受けていました。カウンセリングでは、自分の成育歴や生きづらさなどを繰り返し話すことになります。その過程で、発達障害の診断もしている主治医が、私にADHD(注意欠如・多動症)の特性があることに気づいてくださいました。それが41歳の時です。私自身、もともと生物の勉強が好きで人体の仕組みなどに興味があったので、「私の脳にはそんな特徴があったのか!」「もっと早く知りたかった」と思いました。

ADHDの特性として一般的に言われることですが、私は落ち着きがなく気が散りやすい一方で、自分が興味を持ったことには集中し過ぎて気持ちの切り替えがなかなかできないところがあります。また、子どもの頃は衝動性が強く出てしまい、思いつきで突飛な言動をして友達とトラブルになったり、先生に叱られたりすることがよくありました。

どうして普通にできないの? 学校生活は苦労の連続

オーストラリアで生まれ3歳までほぼ家族だけで過ごしていた私は、他の子どもとの付き合い方を知らず、「知らない子でも自然と友達になれる」という子どもならよくあるはずの経験がありませんでした。ですので、日本帰国後に初めて同年代の子どもの集団に出会った時は、「これが噂に聞いた“友達”というものか」といった感覚でした。いざその中に入っても、つい余計なことを言って友達を怒らせたり、傷つけたりしてしまい、「慶子ちゃんって、なんかヘン!」と言われて、仲間外れにされたりすることもありました。

小学生以降はシンガポールや香港の日本人学校へ転校しましたが、やはり友達との関係でとても苦労しました。当時はまだ発達障害について広く知られていなかった時代です。先生からは「おしゃべりが多くて落ち着きもないし、どうして普通にできないんでしょうか」と注意され、母もどうしたらよいものか、ずいぶん困っていたと思います。

自分なりに一生懸命気をつけていても、うまくコントロールできない。「普通に大人しくしていなさい。そんなこと、わざわざ言わないと分からないの?」と叱られてしまう。私は「どうするべきなのかを具体的に言ってくれないとわからないよ」 「どうして他の人は言われなくてもちゃんとできるんだろう・・・」という思いがありました。結局、「私はよっぽどわがままで、我の強いダメ人間なんだろうな」と自分を責める以外に、気持ちの落としどころがありませんでした。

独自の方法でコミュニケーションの“型”を学んだ中高生時代

小3で海外から日本に戻ったものの友達とうまくいかず、中学生からは環境を変えようと、私立の中高一貫校に入学しました。そこには個性的な先生もいて、小学生時代よりもはるかに生きやすくなりました。とはいえ、中学生になっても友達とのコミュニケーションは不器用なままでした。

周囲に馴染めず、暗黒の思春期を過ごしていた中学生の私は、高校に上がるタイミングで違う自分になろうと決め、人付き合いが上手で人気者のクラスメイトたちを観察するようにしました。「あの子はいいなあ、みんなに好かれて」と嫉妬しながらも、「ああいうタイミングで笑うんだ」、「こういうリアクションをすると好感度が上がるのか」と、その子を観察することでコミュニケーションの“型”を学習していったんですね。

そして高1になってから、学習したことを実践してみました。まずは挑戦しやすそうな “無口な人”です。これまでのようにべらべら喋る自分を封印し、話を振られるまでただニコニコして、時々「面白いね」と相槌を打つ。これを1ヵ月続けたところ、中学から私を知っている友達でさえ、「慶子ちゃんって大人しいね」などと言い始めたのです。「たった1ヵ月、自分のふるまいを変えるだけで、周りの評価はこうも簡単に変わるのか!」と驚き、他にもいろいろな“型”を試してみました。

そんな調子で1年くらいすると、“型”を意識せずいつも通りの自分を出しても、友達との楽しく良好な関係が作れるようになっていました。これはおそらく古典芸能のように、“型”から入ることで幾つものコミュニケーションのパターンを体で覚え、自分のものにすることができたのでしょう。そのうち、表現の仕方に自分なりの工夫を利かせることができるようになりました。

発達障害と向き合う

人間は複雑な存在―すべてを“発達障害”だけで説明することはできない

ADHDと診断されるまでは、理由が見つからないまま「自分はダメ人間なんだ」と自己嫌悪を感じていましたが、診断以降はADHDと関連づけて自分で説明がつけられるようになったので、よかったと思っていました。しかしある日、そのことを主治医に伝えると、「人間はそんなに単純なものではありません。生まれ持った気質、生育環境、健康状態など様々なことが影響し合って今の慶子さんがあるのだから、発達障害だけですべてを説明できるわけではないんですよ」と言われました。

その時、自分に貼りかけていた“発達障害の人”というラベルがポロッと剥がれたように感じました。昨日までと変わらず自分は自分なのに、診断名がついた瞬間から本人も周りの人も “発達障害の人”と認識してしまいがちです。でも人間は複雑な存在。人の数だけ脳の特性も違えば、身体の作りも、生きてきた環境も違う。もちろん、発達障害であることがその人の特徴を形作っている面もあります。でもそれがその人の全てではありません。「自分にある要素のすべてを大事にしていけばいいんだ」と気づかせてくれた主治医の言葉は、発達障害と共に生きていく上で私の支えであり、救いにもなっています。

日常生活でミスをすると、以前の私は「ほらやっぱり、ADHDだからこうなるんだ」と必要以上に思ってしまうところがありましたが、今は意識的に自分を褒めるようにしています。例えば、忘れ物に気づいた時には、「よく気づいたね。私、エラい!」と声に出して言うのです。そうすることで自分自身を肯定でき、ADHDである自分とも仲良くできるようになりました。

自分の状況を共有し、お互いが困らないように工夫すること

ADHDと診断された後、私はすぐに家族と仕事の関係者にそのことを伝えました。夫も息子たちも「慶子(ママ)は昔からこういう人だけど、その特徴には名前があったんだね」という反応だったので、妻やママのトリセツが1冊増えたくらいの感覚だったのでしょう。集中している時に話しかけられても覚えていないことがあるなど、私の特性を理解して彼らなりに協力してくれるので助かっています。

また、ありがたいことにマネージャーや担当編集者もADHDのことをよく理解してくださっています。私は約束の時間や場所を何度も確認して準備していても、目の前のことに気を取られて注意が逸れ、とんでもない勘違いを起こしたりすることがあります。そのため、実際のスケジュールよりも早めの時間を伝えてもらったり、頻繁にリマインドしてもらったりといった気遣いをしていただいています。このように、私が仕事をする上では、自分の状況を周りの人たちと共有し、お互いに困ることがないように工夫することが大事だと考えています。

発達障害と共に歩む

自分の特性が生かされたアナウンサーという職業

世の中には“見れば分かる” “言わなくても分かる”とされることが多くありますが、私はそうした暗黙の了解がよく分からず不安を感じることが多かったため、幼い頃から細かく言語化するという習慣が身につきました。その結果、何かを説明すると他の人から「それがまさしく私の言いたいことだった!うまく言葉にできないことをはっきりさせてくれてありがとう!」などと言われることが多くなりました。これは今の仕事に役立っています。また、退屈なことに耐えるのが難しい反面、自分が興味を持ったことには人一倍のエネルギーと集中力で取り組むことができることも私の特性です。

そして幸運なことに、こうした特性が長所として評価されやすいアナウンサーという職業と出会い、人間関係にも恵まれました。アナウンサーを志望した最初のきっかけは、高校時代にドキュメンタリー番組を見てテレビの世界で仕事をしたいと思ったことです。さらに若い女性アナウンサーがブームの時代であったこと、経済的自立を望んでいたこと、子どもの頃から学芸会などでナレーターを率先してやっていたことなども志望の理由でした。

私の「台本がなくてもいくらでも喋ることができる」という特性は、ラジオ番組やインタビューなど臨機応変な対応が求められる場面でとても役に立ちました。また討論番組では、気が散りやすい特性と目の前のことに集中する特性という矛盾する組み合わせがプラスに働いたような気もします。複数の出演者の発言に目配りをし、議論の流れを整理しながら本筋を見失わずに分かりやすく進めていくことができたのは、脳の特性のおかげもあるかもしれません。

実は、当時は台本なしで喋ったり、議論を整理したりすることはアナウンサーであれば誰もができることなのだろうと思っていたんです。後に、誰でもできるわけではないと知り、「私の特性は、困り事ばかりではないんだな。ギフトでもあるのかもしれない」と感じました。

その一方で、アナウンサーの基本である“台本通りのコメントを決められたタイミングで話す”ことは得意ではありませんでした。例えば、目の前の話が面白いとそこに価値を感じて集中してしまうので、言うべきタイミングで決められたコメントを言えなかったり、忘れてしまったりすることがありました。また、伊豆大島行きの飛行機に自分だけ乗り遅れ、ロケ隊を何時間も待たせてしまうといった大失敗もありました

「発達障害×ジェンダー」によって直面した困難

私がアナウンサーになった当時、若い女性アナウンサーというのは、可愛くて従順で優等生的な存在で、俗に言う“お嫁さんにしたいタイプの女の子”であることが、今以上に求められていました。ところが、私は育ってきた環境の中で、そういう女性であれという教育を受けていませんでしたし、空気を読まずに思ったことを口にすることが多かったので、いわゆる求められる “女子アナ”のタイプには、まるで当てはまらなかったのです。

また、会議や打ち合わせなどで、男性や目上の人に気を遣って自分の意見を言わずにいる方が無難な場面でも、「こうしたらいいのではないかと思います」と意見をべらべら話してしまう。だから、「アイツは生意気だ、目立とうとしている」などと言われることもありました。当時は、なぜ「生意気だ」と言われるのか、理由がよく分かりませんでした。日本のように年功序列で男女格差が大きく、「女は男を立てるべき」というジェンダー規範が強い社会では、女性は男性よりも、また年少者は年長者よりも、発達障害の特性が問題視されやすいのではないかと思います。ADHDの特性のある女性は、障害の特性による困りごとに加えて、ジェンダー規範からの逸脱という生きづらさを抱えることになるのです。

言語化を繰り返すことで、状況を俯瞰する

「発達障害×ジェンダー」について悩んでいた当時の私は、このしんどさはなにゆえだろうと繰り返し考えました。その過程で「この社会では女性に対して、男性が理想とする女性像を演じることが強く求められているんだな」 「会社員である局アナに求められているものと、自分が大切だと思うものにはズレがあるんだな」など、いろいろな発見をしました。

言葉にすると、しんどさの正体が多少なりとも可視化されて、頭の整理ができます。自分が取り得る行動の選択肢が見えてくるのです。それが、時には困りごとの軽減や解決、あるいは誰かに支援を求めることにつながるのではないでしょうか。私の場合はそうやって、この特性とともに何とか生きてきたという実感があります。

発達障害を取り巻く環境への想い

単純化された発達障害のイメージ

私は自分の障害はあえて公表するほどのことでもないと思っていました。ただ、発達障害という言葉が世の中に広まるにつれて、障害を不吉なことのように語る人や、逆に障害は天才の証しであるかのように語る人もいて、発達障害という言葉がだいぶ雑に使われているように感じていました。

発達障害のある人が10人いたら10人それぞれに異なる困りごとがあり、できないことばかりではなくできることもある。発達障害のことをもう少し丁寧に考えてみませんか?―そんな思いをエッセイに綴ったのは数年前のことです。

そのエッセイには多くの反響がありましたが、特に興味深かったのは、「アナウンサーなのに発達障害だったんですね」という反応です。アナウンサーに対する“真面目できちんとしている人”というイメージと、発達障害のある人に対する“だらしないダメ人間”という正反対のイメージが組み合わさっているのを、意外に感じる人が多かったのでしょう。でもこれはどちらも極端に単純化されたイメージです。人間はもっと複雑で多面的な存在ですよね。

“特性の異なる脳”として発達障害を捉えよう

最近は、脳の多様性の一つとして発達障害を捉える動きがあり、「ニューロダイバーシティ(Neurodiversity)」という言葉が使われ始めています。“普通の脳”と“普通じゃない脳”に分けるのではなく、もっと幅を持たせた“特性の異なる脳”として発達障害を捉えましょうという考え方です。今後はこうした考え方が主流となって、発達障害を取り巻く環境が変わっていくことが望まれます。

また、「特性の異なる脳を持っていても生きづらさを感じることなく生活できるように、社会をデザインしよう」という、“障害の社会モデル”に基づいた考え方も注目されています。“普通じゃない人”を排除したり、“普通”に近づけようとするのではなく、「この世に一人として同じ人はいない。どんな人も生きづらさを感じずにすむような世の中のかたちを一緒に考えましょう」ということが、社会を作る上で基本合意になるといいなと思います。

“個々の能力を発揮しやすい働き方”を
丁寧に探ること

戦後の日本が焼け野原から経済大国になる過程で、“同じタイムスケジュールで長時間、同じ場所で軍隊のように働いて成果を上げる”という働き方が望ましいとされ、それになじまない人は戦力外と見なされてきました。今でも極めて同質性の高い社会です。でも、今後は差異を前提にした発想に切り換えることが大切だと思います。コロナ禍の2年余りでも働き方は多様化してきていますよね。

障害のある人が安心して生きていける社会は、きっと障害のない人にとっても生きやすいはずです。人を制度に合わせるのではなく差異を生かす制度にすれば、育児・介護・病気などとの両立が必要になった場合にも、働き方を柔軟に変えられるようになるでしょう。

いろいろな特性を持つ人と多く関わる機会を

発達障害の特性は、私のように職業上プラスに働いている人もいれば、そのために辛い思いをされている人もいて、感じ方や困りごとは人それぞれで異なります。「マイノリティについて理解するには、2名以上の当事者と関わると偏見を持ちにくい」とも言われています。たった一人の体験談ではなく複数の人の話を聞けば、発達障害と共に生きる人の人生はみんな違っていることに気づくはずです。

「発達障害のある人」「健常な人」と一括りにしてしまったら、一人ひとりが見えなくなってしまいます。脳の特性は、人間を形作るさまざまな要素の一つです。いろいろな特性を持った人と関わる機会を多く持つことで、自分も含めた誰もが他の人とは異なっていることに気づくでしょう。人間に対するまなざし自体が変わることで、発達障害への理解が深まっていくといいなと思います。

発達障害で悩みや心配がある方へ

発達障害の特性を持つ親御さんへ

私にも身に覚えがありますが、発達障害の特性で不得意なことがあると、いろいろな失格の烙印を自分に押してしまい、悩むことが多いですよね。子育て中も、世間から見た“あるべき親像”や育児情報にある“完璧なパパ・ママの姿”と自分を比較して苦しくなることがあるでしょう。でも、子どもは理想の親像なんて求めていません。子供にとって何より大事なのは家庭が安心できる場所であることと、「親は自分のことを本当に大切に思ってくれているんだ」と思えることです。

私自身は「家族のみんながハッピーであれば、周りに何と言われても構わない」という思いで子育てをしてきました。発達障害をお持ちの親御さんは、特性により家事や人間関係などで不得意なことがあっても“親失格”だと思わず自分をいたわってあげてほしいです。しんどい時は専門家に相談するのもいいでしょう。そして、周りの方も困っている親御さんをいたわり、支えてあげてほしいと思います。

「何に困っていて、何を必要としているのか」を大切に

「あの人は、発達障害なのかな?それとも単に個性的なのかな」「自分は発達障害なのかな?それともちょっと変わっているだけかな」と悩んでいる人もいるでしょう。発達障害という診断名にこだわってしまうと、すごく苦しくなると思います。なぜそれをはっきりさせたいのか、なぜ線引きしたいのか ―いったん診断名へのこだわりから離れて、動機をよく掘り下げて考えてみるとよいかもしれません。

本当に大切なのは診断名がつくかどうかをハッキリさせることではなく、「その人が何に困っていて、どんなサポートを必要としているのか」を知ることです。そして、日常生活で何かに困っているのであれば、その困りごとを少しでも減らすための工夫が必要なのです。

もし困っていることがないのなら、「ちょっと人と違う特性があるな」と感じたとしても、それはそれでいいのではないでしょうか。ただ、周りの人からはそれほど困っていることがないように見えても、本人は生きづらさを抱え何とかしたいと思っていることがあります。あるいは家族がしんどい思いをしていることもあるでしょう。その場合は、専門家を受診してみるのがいいかもしれません。診断名がつくことによって得られる支援の幅が広がり、当事者の仲間とつながることができます。医師や専門の心理士などのサポートによって、困りごとが減るかもしれません。

発達障害に関する悩みや困りごとを抱えている方には、「あなたは一人じゃない。あなたの困りごとや生きづらさを軽減するために、一緒に考え、支えてくれる人がきっといる」と伝えたいです。