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発達障害 みんなのストーリー

新しい学びや経験を積み重ねていくことで、発達障害の自分の「生き方」が変わった

当事者インタビュー(ADHD・ASD)
〜岩本 友規さん(43歳・男性)〜

プロフィール:

  • 年齢:40代
  • 職業:大学研究員
  • 特性に気づいた時期:30代の頃
  • 病院を受診した時期:30代の頃
  • 診断された時期:30代の頃
  • 診断名:ADHD、ASD

主な特性:

  • データ整理や細かい数字の扱いが得意
  • 自分でスケジュールを立てたり、マルチタスクな作業が苦手
  • 雑談など、人との不定形なコミュニケーションが苦手
  • 遅刻、忘れ物が多い

本文中に使用されている専門用語(アンダーラインのついたもの)については発達障害関連ワード集に詳しく説明があります。

発達障害に気づく

休職と復職を繰り返していた日々

私は25歳の時、数回目の転職を経て、もともと自分が挑戦してみたかった分野で、比較的規模の大きな会社に入社しました。それ以前の会社は、任せられた業務をマイペースに取り組むことができる環境でしたが、転職先では多くの作業や案件一つ一つに対して自分でしっかりと期限に向けてスケジュールを立て、同時進行でシステマチックに回していくことが求められました。

私にとって、このようなマルチタスクかつ自己管理が求められる環境でやりくりするのは非常に難しく、仕事がうまく回らず怒られてばかりでした。それでもなんとか与えられた業務をこなそうと、始発で出社して終電で帰宅するといった日々が続きました。そしてある日、積み重なった疲労とストレスで「いのちの電話」に助けを求めてしまうほど、限界まで追い詰められている自分に気がつきました。これが、最初の受診と休職のきっかけになりました。

いのちの電話:電話やメールで自殺予防をはじめとした相談を受け付けるサービス。日本いのちの電話連盟が運営している。

当時通院していた病院では、うつ病や双極性障害Ⅱ型と診断され薬を処方してもらいました。しかし、一向に改善がみられないまま、5、6年ほど休職と復職を繰り返す状態が続きました。そして、いよいよ休職の猶予もなくなってきた頃、新しいオフィスに近くて通院が楽なところへ移ってみては、という産業医の勧めもあり、現在の主治医がいるクリニックへ転院したのです。

自分の根底にある病気がやっと分かった

そのクリニックでは、特に先生から薬に関する詳細な説明はなかったものの、何度かの問診を経て比較的早い段階でADHD(注意欠如・多動症)の薬が処方されました。

それまで発達障害についてはまったく知りませんでしたし、自分が診断を受けた病気について手探りで調べていた期間が長かったので、ADHDの特性を初めて知った時は、「自分の困りごとをこんなにもぴったり表現してくれるものがあったんだ!」と興奮したことを覚えています。そして自分はおそらくADHDだろうと思い、次の診察時にあらためて主治医にその診断名で間違いないか確認しました。それが33歳の時でした。

ADHDと診断された私は、自分自身が発達障害であることを素直に納得できたため、ポジティブな気持ちで受け入れることができたと感じています。もともと情報を収集して分析することが好きだった私にとって、自分の特性に関する情報を集め、対策を考えていけることは大きな前進でした。また、小学生の頃に通常学級で障害のある子と一緒に学んだ経験があったことも、「障害」に対するネガティブな印象を持たなかった理由の一つかもしれません。

発達障害と向き合う

社会人になって直面した様々な困りごと

子どもの頃の自分自身の様子を振り返ってみると、幼稚園や小学校でじっと座っていられなかったという経験はなく、その場に合った適切な行動というものを自分なりに理解し、ある程度コントロールすることはできていたのだろうと思います。ただ、人とのコミュニケーションが苦手で、小中高時代を通して自分から友達の輪の中にうまく入っていけないという感覚がありました。大人になってからも、周囲の人と雑談をしたり、自分から会話の中に入っていったりすることを難しく感じるところがあります。

仕事をする上での困りごとと言えば、私はデータ整理や細かい数字を扱うことが比較的得意な反面、同時に2つ以上の作業をすることが非常に苦手です。たとえば、就職して周りの人に最初に驚かれたのが、「電話応対をしながらメモを取れない」ことでした。日常会話程度の電話ならポイントだけを大まかに把握すればよいのですが、業務の詳細が分からない中、製品の型番などを一字一句聞き取ってメモする必要があるような場合などは、どうしてもうまく対応できず、いつも周りから叱られていました。

その他にも、身の回りのものを整理整頓をしておいたり、長期的なスケジュールを組んだりすることが苦手であるなど、社会人になって発達障害と分かるまでの10年以上は、様々な困りごとを抱えて苦労することが多くありました。うまくいかない時は、「自分の努力が足りないんじゃないか」「自分が悪いんじゃないか」と、自分を否定するような方向に気持ちが向いて、いつも悩んでいたように思います。

同じように困っている人に発達障害に関する情報を

私はありがたいことに、学生時代の勉強に関してはそれなりに対応できていたので、自己効力感は決して低くはなかったと思います。しかし、発達障害の特性があることを知らずに社会に出ることで、容易に精神的に追い詰められてしまう可能性があることを知った当時の私は、本当にショックを受けました。発達障害が原因であることを知らず、私と同じように何年もの間一人で困り続けている人、あるいは仮に原因が分かったとしても、対策が分からずに苦しい思いをしている人が多くいるはずだと感じました。

私がADHDと診断された頃、発達障害に関していろいろと調べている中で、「発達障害」という言葉は世の中でまだあまり認知されていないという印象がありました。そうしたことから、「当事者の立場で、発達障害があってもそれなりに仕事をしていくための情報を積極的に発信していこう」と考え、仕事がある程度落ち着いてきた頃、「発達障害の『生き方』研究所 Hライフラボ」というタイトルのブログで記事を書き始めました。

私が現在取り組んでいる研究分野にも関わるのですが、人の行動や脳神経の仕組みなどに関する本を読んでいく中で、自分の行動にもそれぞれ理由があることが分かってきました。そうした学びや自身の経験を積み重ねていくことで培った考え方や生き方を情報として発信していくことが、発達障害のある人でも生きやすい社会にしていくための役に立てばいいなと思っています。

発達障害と共に歩む

自分に合った対処法が、仕事をしていく上での武器に

発達障害があると分かってから、その対処法として小さなホワイトボードを会社のデスクに持ち込んでみたことがあります。そこに、自分が取り組んでいる作業や優先順位を周りの人にも見えるような形で書き込んだり、マグネットで番号をつけたりしながらスケジュール管理をしようと考えたのです。しかし実際には、作業量がホワイトボードには書き込めないほど膨大にあったことや、作業のスピード感にも追いつかなかったことから、その方法はうまくいきませんでした。しかしその経験により、「私にはあまり複雑なやり方は向いていない」ことに気づくことができました。

そのように他にもいろいろと試した中で、私には手帳でのスケジュール管理という方法が一番合っていることが分かりました。手帳は、バッグに詰め込んでもボロボロにならないしっかりとしたカバーが付いているもの、そして必要な時に最小限の労力で書き留められる、月間の見開きタイプが重要なポイントだと考えています。ただ、衝動性が強く、すぐに次の行動を起こしたくなる私は、「手帳にスケジュールを書き込む」という作業そのものの優先順位がすごく低いので、最初から「書くのは一言、もしくは頭文字2文字だけでもいい」とできるだけハードルを低くし、とにかく継続できるような工夫をしています。その他、ノートはジャンルごとに使い分けをしてみましたがうまくいかなかったため、時系列でとにかく少しでも多く書き残すようにしています。

対処法は人それぞれですが、試行錯誤して自分に合った方法を見つけることが重要だと思います。「とにかくまずうまくいきそうな方向に変えてみること」が、その時々の状況に対処するための自分なりのスタイルを作っていき、結果的に就労の長期継続にもつながるのだろうと思います。

行動する前の「間」によって生まれた変化

発達障害には様々な特性がありますが、私には「人の気持ちが直感的に入ってきづらい」という特性があります。ところが、障害者雇用で採用された会社で自分が集中力を出しやすいデータ分析の仕事に就くことができ、さらに主治医による薬物治療も順調だったこともあり、自分自身に大きな変化が起きたのです。注意力が改善したからか、いろいろな場面で「自分が今何をしているのか」「次の行動に移る前には何に気を付けるべきか」ということに気づく余裕、いわば「間」のようなものが生まれるようになりました。

たとえば仕事では、データ入力などの作業が終わった後に見直しや確認作業をする、電車を降りる時に忘れ物がないか振り返って確認する、買い物の時にレジに商品を置き忘れないよう注意を払う、といったことができるようになりました。それまでの私は、ひとつのことが終わるとすぐ次の行動に移ってしまいがちだったのですが、意識の中に「間」ができたことで、そのときに必要なことに注意を払えるようになり、精神的にかなり楽になりました。

自分にとって大きな転機となった気づき

そしてある時、自分が好きな仕事に没頭できるようになり、心理面の勉強や様々なトレーニングを自分なりに重ねていくうちに、「ものの感じ方は一人一人違う」という、当たり前のことにようやく気づきました。それは理解というレベルにとどまらず、「自分にも相手にも主体的な判断基準や行動規範がある」という前提に立って、意識的にコミュニケーションができる感覚が自分自身の中に急に立ち上がったのです。

私にとって、それは劇的な瞬間でした。もし発達障害のある人がこの感覚を持てれば、相手の視点に立って気持ちを想像することができ、もっと楽に生きられるようになるのではないか、発達障害を持つ多くの人が抱えるコミュニケーションに関する困りごとを減らせるのではないか、と考えました。

それと同時に、なぜ私にそういう転機が訪れたのかを知りたくなり、さらに勉強を進めて、自分自身を変化させた原因や背景を探るプロセスを少しずつブログで発信していきました。ブログにはポジティブな反響が多くあり、私と同じように実践される方もいらっしゃいました。また研究をしている中で、様々な発達障害当事者支援のプログラムにも同じようなプロセスが組み込まれていることに気づきました。そういう意味では、私が経験した自分自身の大きな変化にもそれなりに理由があったのだと感じました。

発達障害の課題解決に向けて

いろいろな支援機関に積極的に相談を

発達障害による生きづらさや困りごとは、本人の力だけで解決するのは困難なことが多いです。積極的にいろいろな支援機関に相談し、様々なケースを熟知している方の意見を聞いてみることをお勧めします。最初は話しづらいかもしれませんが、そういった機関とつながり、困りごとに応じた相談先や頼れる人を多くつくることはとても大切です。また支援する側も同様に「チーム」として当事者の方の目標や課題の解決に取り組んでいくことが大事だと思います。

青年期までと違って、大人の場合は発達障害の特性による困りごとがあったとしても、特定の環境から離れづらいという場合があります。生活していくために、簡単には離職できないからです。環境とのミスマッチが起きた場合でも、二次障害、三次障害となるまで頑張ってしまうところが大人の発達障害特有の問題だと思います。

私も、主治医の他にもうつ病で通院していたクリニックで復職支援を受け、発達障害と診断された後もハローワークの障害部門や就労支援、転職支援会社の方々などのお世話になりました。各都道府県の発達障害者支援センターでは、発達障害に関する相談を受けるほか、地域の支援機関の紹介もしています。相談先を探す場合、まずはこの辺りを参考にしながら、しっかりとした発達障害に関する知識のある機関を選択するとよいと思います。

また、障害者手帳の取得や障害者雇用のことで悩んでいる方も多くいらっしゃると思いますが、私自身は障害者雇用枠での就労を検討していたため障害者手帳を取得しました。障害者手帳にはいろいろな活用方法ありますが、私の場合は自分の特性に合った職種を新たに探す上で、選択肢の幅が広がったので、非常にありがたかったと感じています。

二次障害について詳しく
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発達障害のある人もない人も、それぞれの「世界の違い」を理解するということ

発達障害のある人を取り巻く職場環境のあり方としては、「自分と同じ世界に周りの人もいる」といった考えを当たり前に持たず、「普段から接する人達が見ている世界はどのような世界なのか」を想像しながらコミュニケーションをするという文化がとても重要だと思います。それが前提としてあれば、職場でもより良いコミュニケーションや適切な配慮が生まれ、発達障害のある人も一緒に働きやすくなるのではないでしょうか。

発達障害があってもなくても、すべての人はその人にユニークな「特性」を軸に生きています。ですから、自分の中にたくさんの「特性軸の引き出し」を持ち、その引き出しを相手に合わせて上手に使い分けながら自分の行動を調整していくことで、仕事が円滑に進められるようになるのではないかと考えています。例えば、直感的な人にはロジックで説明するよりも、ビジュアライズした資料を使って説明するとか、せっかちな人なら1ページで結論をまとめた資料を用意する、といった発想です。それぞれの世界の違いを日常的に理解しておくことが、仕事を続けていく上で大きな力になると思います。

ニューロダイバーシティ
脳の多様性を考えてみよう

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